代表プロフィール
淵上 和男
FUCHIGAMI KAZUO
空想科学株式会社 代表取締役
株式会社空想科学スタジオゲーム制作全般
株式会社空想科学ソリューション開発環境の構築支援とサーバーサービス
株式会社空想科学テクノロジー高度技術の開発とそのライセンス供与
各社代表取締役
1981 年に、『PC-8001』に出会いました。
それから今日まで、パズルを解くようにソフトウェアを作っています。
8 / 16 / 32 / 64 ビット、4 世代を歩いてきました。
言語もツールも変わりましたが、やっていることは変わりません。
8 ビット = Z-80・6502・HuC6280 / 16 ビット = V30・65C816・68000 / 32 ビット = MIPS R5900・ARM / 64 ビット = ARM64
これまでのこと
埼玉県東松山市に生まれる
スペースインベーダーに出会う(13 歳)
家族とドライブインに寄ったときに置いてありました。夢中で遊んだあと、同級生から「インベーダーは人が作ったんだよ」と聞かされます。機械が勝手に生み出したのではなく、人間が作っている——目から鱗でした。コンピュータと自分の距離が縮まった瞬間です。
九十九電機(秋葉原)で、PC-8001 を買う(15 歳)
BASIC で始めたものの、速度に不満を持ってマシン語を独学。以後 4 年、この 1 台を使い続けました。
Z-80 / PC-800132KB のシミュレーションゲームを 1 年かけて自作(19 歳)
アセンブラなんてない時代なので、全部ハンドアセンブル。頭の中でアセンブリを機械語に翻訳できるまでになっていました。前後の相対番地まで。ただ、当時は割り込みの存在を知らなかったので、全ての経路の CPU サイクル数を計算して揃えることで画面の同期を取り、何度も何度もアドレスをずらしながら書き直しました。
完成したものをソフトハウス(当時の株式会社エニックス)へ持ち込みます。ゲームは不採用。それでも「君に仕事を出す」と言っていただきましたが、断ってしまいました。ゲームそのものに自信があったからです。パソコン雑誌の編集部(当時の株式会社日本ソフトバンク『Oh!PC』)からも「少し直せば掲載するよ」との声。ただ、既に書き直す力は残っておらず、こちらも断りました。
ここで一度、プログラムから離れます。戻るのは 3 年後です。
Z-80 / ハンドアセンブルデータイースト株式会社に入社(23 歳)— プロとしての出発点
コンシューマー部門でファミコンを担当。開発機は SONY NEWS、OS は BSD、エディタは vi。初めて触った OS が UNIX でした。
腕に自信を持って入社しましたが、Z-80 とは異なる 6502 の粋なアドレッシングモードに魅了され、寝食を忘れて技術を吸収し続けました。
6502 / BSD 4.2『探偵 神宮寺三郎 時の過ぎゆくままに・・・』/『琉球』
128KB の ROM に収めるため、ハフマン符号化を自前で実装し、圧縮したキャラクタデータを実行時に展開する仕組みを組みました。展開に時間がかかったので、4 枠の使い回しを入れて古い順に捨てるようにしています。体感を仕様の一部として扱う、いまも変わらない考え方です。
また、この手のゲームは、システムが完成したあとはシナリオの差し替えになります。シナリオライターが作り易いように PC-9801 上で動くシミュレータを C 言語で作り、実機に載せる前に PC の側で動かして確かめられるようにしました。もちろん、データは手作業なしで、そのままファミコン上で動きます。
同じ頃、夜は自宅で『琉球』を作っていました。ポーカーの役をマス目に縦横斜めで作るパズルです。※この作品は 35 年後の 2025 年に復活し、アーケードアーカイブスと店舗向けで再び遊べるようになりました。
6502 / ファミコンV30 / PC-980168000 / 業務用今の『 空想科学株式会社 』を創業(25 歳)
埼玉県坂戸市にて、「ソフトハウス空想科学研究所」として。同年 7 月に法人化(有限会社:1994 年 7 月に株式会社化)し、代表取締役に就任しました。
『レミングス』を PC エンジンへ
地形とレミングを自由に表現したパソコン版(Amiga)を、背景の持ち方の工夫とプログラムを実行時に書き換える工夫で、PC エンジンで実現しました。他社のプログラマーから、どのようにやったのかをよく聞かれたものです。
hu6280 / PC エンジン CD-ROM²『スイスイぴょんぴょん』(子供向けメダル機)
駄菓子屋などに置かれる、子供向けのメダル機です。サクセス様を経由してお受けした仕事でした。子供向けだからと手を抜かず、いつも通り本気で作り込んだ一本でした。
後日、メーカーの株式会社太陽自動機の社長様が、孫請けである当社までお礼にお越しくださいました。他の外注先でも話してくださったと聞いています。下請けの、そのまた先まで来ていただいたのは、このときが初めてです。
Z-80 / 子供用メダル機『上海Ⅲ』での牌の高速表示
元請けから「何とかならないか」と申し入れがありました。牌を 1 個表示するのに約 1 秒かかっていたためです。教科書どおりの作り方で、悪い部分はありません。ただ、これでは、ゲームになりません。責任者である私が引き取り、3 日間考え続け、スーパーファミコンの RAM を極限まで活かした方法で、100 分の 1 の処理時間で実現しました。
65C816 / スーパーファミコンアーケード・スーパーファミコン・メガドライブ向けの作品を数多く作りました
先に社内基盤(DROSS)を作り込み、それを各機種に展開する形で受注しました。作る前に、作るための道具を作る。この順序は今も変えていません。
家庭用ゲーム機向け『ツクールシリーズ』の第1作である『RPGツクール -SUPER DANTE-』も、そのシステムから作り上げました。
68000 / 65C816社長業に専念(30 歳)
会社が大きくなり、年の半ばから経営に回りました。ここから 4 年半、コードを書いていません。
この 4 年半に会社が出したものは、社員が作りました。プレイステーションとセガサターンの世代を、そのまま担っています。
この間の作品
PlayStation
- RPGツクール3(C)ASCII (C)空想科学 (C)SUCCESS (C)Reiji Matsumoto
- タクティクスオウガ(C)Quest (C)ARTDINK
- ファイナルラウンド(C)ATLUS
- コンビネーションプロサッカー 〜Jリーグの監督になって世界をめざせ!〜(C)AXELA (C)空想科学 (C)JFA
- ザ・ゲームメーカー(C)AXELA (C)空想科学
- ストライカーズ1945II(C)彩京
- スターイクシオン(C)NAMCO LTD.
- タイニーバレット(C)Sony Computer Entertainment Inc.
SEGA SATURN
- 廊下にイチダントアール(C)SEGA
- 宿題がタントアール(C)SEGA
- ストライカーズ1945II(C)彩京
ジャンルも機種もばらばらです。およそ半分は、企画から作ったオリジナル。残りは、他社が作り上げたものを、別の機械の上で成り立たせる仕事でした。
資本金を 1 億円に。正社員 50 人以上
受託が伸びていた時期です。店頭公開(いまの JASDAQ の前身)を目指し、数年前から社内の管理を整えていました。
顧問弁護士、税理士、社会保険労務士、案件ごとに専属の弁理士、司法書士等を置き、独善的にならず事業にあたりました。
資本金は全て私の 100% 持ち分として、外部資本に頼らず自分で決められる形にしました。
最大の取引先が廃業。受託の柱を失う
受託の柱だった会社が、事業を止めます。1 社への依存が大きすぎました。多くの社員に辞めてもらうことになります。
このとき現場に戻ります。離れていた 4 年半のあいだに、PlayStation とセガサターンの世代が過ぎていました。1 世代を丸ごと飛ばして、いきなり PlayStation 2 です。私にとっても、プログラマー人生の中で一番覚悟が必要な瞬間でした。
そして、いま受託ではなく自社サービスの形を選んでいるのは、この経験からです。
『RPGツクール5』(PS2)— 企画から実装まで
シリーズ初の PS2、初のフル 3D。3D レンダリングエンジンを自分たちで書き、速度が要る箇所は Emotion Engine のアセンブリを手書きして 2 系統のパイプラインに命令を振り分けています。この開発中に、地面に落ちる影を速く正確に描く方法を考え抜き(3 週間この事だけを考えていました)、特許も 2 件取得しました。
作る側の画面には、立方体を積んで地形を組み立てる方式を入れています。作る人が 3D を 3D のまま触れる、という私の考えが形にできました。
MIPS R5900 / PlayStation 2フィーチャーフォン向けのアプリやサイトを、数多く作りました
家庭用ゲーム機の市場が細っていく中で、軸を携帯電話へ移しました。容量は数十 KB、画面も小さく、機種ごとに仕様が違う——制約だらけの環境でしたが、そこは 20 年以上やってきた領域でした。各キャリアとの直接取引も、この時代のものです。
自社サービス
- 『撮りもの競争』毎月 10 枚のお題を写真に撮って順位を競う賞金付きリアルゲーム
- 『画期的対戦麻雀』別ユーザーの打ち方をする分身と対局できる間接通信対戦麻雀
- 『テーブルゲーム館』10 種類以上のテーブルゲームをアプリで楽しめるサイト
- 『パズルゲーム館』パズルゲームがアプリで楽しめるサイト
など、10 サイト以上の自社サービスを提供しました。
※現在は 3G の停波により終了しています。
Java / DoJa / MIDP / BREW50KB に囲碁を収める
携帯電話の容量制限の中に、囲碁の思考ルーチンを入れました。プロとして受けた中で一番難しかった仕事です。この頃、圧縮率を上げるためにメソッドの並び順を総当たりで試す、といったこともやっています。業界初となるこの仕事も、無理だと言われた仕事でした。
Java / VアプリChardonnay® — Javaアプリ から BREW への自動変換
移植単価が下落していく中で、携帯電話向けに、1 つのソースを別の環境で動かすサービスを作りました。
株式会社バンダイナムコゲームス様、社団法人日本将棋連盟様、株式会社タイトー様などにご利用いただきました
Java / C++本社を鹿児島県奄美市へ(45 歳)
東日本大震災の 4 か月後、電力事情の不安定な埼玉から、父の郷里である鹿児島に戻る形になりました。移転に先立つ 6 月 10 日、鹿児島県の立会いのもとで奄美市と立地協定を結んでいます。奄美市の広報誌「奄美市だより」平成 23 年 12 月号では、その年の主な出来事の 1 つとして紹介されました(2 ページ・PDF)。2019 年には鹿児島市にもオフィスを開いています。
Android 向けのゲームアプリを、数多く作りました
- 『四人麻雀』
- 『四人麻雀DX』
- 『四人麻雀FREE』
- 『セブンブリッジ王国』
- 『ページワン大作戦』
- 『魚類を探せ!』
- 『メトロキーパー』
- 『ソリティアR』
※iPhone 版(32 ビット)が App Store から削除され、この間ずっとiPhone 版(64 ビット)も出したいと思っていました。ただ、作り直すには人手も時間もかかります。「時期を見て移植しよう」と考えたまま、時間が過ぎていきました。
Java / Android『ツクリ.com』(Android 向け)— スマートフォンでアドベンチャーを作る
遊ぶ人ではなく、作る人のための道具です。『RPGツクール』から続く、この系統の仕事のスマートフォン版にあたります。データイースト時代のアイデアを、一般ユーザーの使いやすい GUI で表現しました。
Java / Android / ARMAndroid 版『四人麻雀』を徹底的にバージョンアップしてました
麻雀は多くのローカルルールがあります。それらを全て取り込むつもりで、少しずつバージョンアップしながら実装してゆきました。
今では、約 300 項目の「ローカル役(ルール)」が設定可能となり(「割れ目」や「アリス」等の特殊ルールにも対応)、多くのモードも実装しました。
ダウンロードは 300 万本を超えています。
『メトロキーパー®』(Android 版)
じつは 2016 年に一度出していましたが、ステージがチュートリアルだけの反応を見るための版でした。
そこから 7 年、腰を据えて作れる時期がやってきます。2023 年の秋に着手し、2 年かけました。ダメだと思うところを全部外して、納得のいくまで作り込んでいます。東京の地下鉄をモチーフに、全路線をステージとして実装。効果音とメロディもこだわりました。スライドパズルという古い遊びに、オリジナリティを加えられたと思っています。渾身の一作です。
ARM / AndroidAI との出会い(60 歳)
これまで、超えられなかった時間の壁(量をこなすこと、調べること)を、AI と協業することで、どんなことにも挑戦できるようになりました。
そして 2026 年 7 月、『メトロキーパー®』の iOS 版をリリースしました。
C++ / iOS / ARM64これからも、いいものを作り続けます。
直接関わった主なもの
FAMICOM — 1990
探偵 神宮寺三郎
時の過ぎゆくままに・・・
データイースト。プログラム担当。ハフマン符号化と、圧縮したキャラクタデータの実行時展開。
ARCADE — 1990
琉球
ポーカーの役をマス目に作るパズル。2025 年にアーケードアーカイブスと店舗向けで復活しました。
PC ENGINE CD-ROM² — 1991
レミングス
他機種からの移植。他社のプログラマーからは、どのように実現したのかをよく聞かれました。
ARCADE — 1992
スイスイぴょんぴょん
駄菓子屋などに置かれた、子供向けのメダル機。サクセス様を経由してお受けしました。
SFC — 1995
RPGツクール -SUPER DANTE-
別の RPG タイトルにおいても、このシステム『DROSS』を共用しました。(Dynamic Relational Object SystemS)
DREAMCAST — 2000
ドリームスタジオ
3D アドベンチャーゲームを簡単に作りたい、という発想から生まれた 1 本。この作品では、企画立案を担当しました。
PLAYSTATION 2 — 2002
RPGツクール5
企画・ディレクション・メインプログラム。特許 2 件はこの開発から生まれました。ただ、スクリプトをマクロ化して作り易くするアイディアが、時間の都合で実現しなかったことが、今でも心残りです。
MOBILE — 2003
囲碁
50KB の容量制限に、囲碁の思考ルーチンを収めました。業界初で、無理だと言われた仕事でした。
SMARTPHONE — 2009
四人麻雀
自社タイトル。iOS 版(32 ビット)が App Store のゲーム全体で 2 位になりました。私が担当したのは Android 版からです。現在も配信中で、会社を長く支えてくれています。
ANDROID — 2012
ツクリ.com
スマートフォンでアドベンチャーゲームを作れるツールですが、現在はサービス一時停止中です。
ANDROID — 2025 / iOS — 2026
メトロキーパー®
~東の砂漠編~
2 年かけて作り直した渾身の一作。そして 2026 年 7 月、iOS 版を App Store に出しました。
3D の影を、速く正確に。
発明の名称: 3D コンピュータグラフィックスにおける光による輝度の高速調整方法
当時、3D の影は「それらしく」描くのが普通でした。正確に描こうとすると計算量が極めて多くなり、リアルタイムには載りません。
ポリゴンの頂点を光の方向に動かして立体を作り、その面の明るさを定数で足し引きする——投影の計算そのものを回避する方法を考えました。3 週間ほど考え続けた末に浮かんだものです。単純な足し引きが主体なので、Emotion Engine のパイプラインに載せやすく、実際に『RPGツクール5』の製品版に入って出荷されました。
特許は考え方です。実際に出荷したのは、それを載せた 3D レンダリングエンジンでした。ジオメトリの変換、頂点の処理、面の並べ替え、影の生成、テクスチャの貼り付けまで、描画の一式を手書きしました。速度が要る箇所は Emotion Engine のアセンブリで、2 系統のパイプラインに命令を振り分けました。影だけを取り出して載せられるものではありません。エンジンの側が、その計算の順序で組まれている必要がありました。
- 特開2002-024854(特願2000-205766)— 出願 2000 年 7 月 6 日 / 公開 2002 年 1 月 25 日
出願人: 空想科学株式会社 / 発明者: 淵上和男(単独)
Google Patents で見る - 特開2002-042161(特願2000-223586)— 出願 2000 年 7 月 25 日 / 公開 2002 年 2 月 8 日
出願人: 空想科学株式会社 / 発明者: 淵上和男(単独)
Google Patents で見る - いずれも 2020 年に権利満了しています。現在は誰でも自由に実装できます。